My Story
"Lily Child"
【終わりに】
終わりに
半生記のうちのここまでは、修道者としての役目を果しながら、10年かけて(最後の1年半を除く)夜間コースや夏季コースを取りながら、4年分の単位を修了し、卒業論文に匹敵する、卒業展示会を開催するために準備した作品集の一端を因に、1988年の9月にまとめたもの。こうして人生の節目節目に自分の歩んできた道を振り返り、整理してみるのもいいことだと思える。実際、これが自分の人生において次の段階に進むための踏み台となったことは確か。
さて、あれからすでに十数年、結果的に見ると、それまでにも増して波乱万丈の時期だったし、自分のそれまでの信念をふるいにかけて揺さぶり、真に自分にとって大切なものだけを選択する機会となった。詳しいことは、いつの日かあなたとひざを交えて話し合える時にでも話すことにして、ここでは簡単に述べておこう。
A Course in Miraclesとの出会い
美術科を専攻し、1986年の暮れに最優等の成績で卒業したものの、引き続いて大学院へ進んで勉強を続けたいという願いはかなえられなかった。 当時の修道会の方針にそぐわないとのことだった。結局その翌年から又、以前のように病院で、パストラル・カウンセラーとしての仕事を続けることになった。しかも新しく開院した病院でパストラル・ケアーの部門を立ち上げる役目を仰せつけられた。やっとそこでの仕事が軌道に乗って順調にいきはじめ、一息つきながらそこでの仕事を楽しむことはもちろん、一緒に働いている人達との人間関係をより深めていこうとしていた矢先、またもや軌道修正を命じられた。その病院の院長をしていたシスターに呼ばれ、今後もその仕事をする気があるのなら、そろそろパストラル・カウンセラーとしての正式な認定を取って欲しいとのことだった。結局、1988年の9月から、先ずはそのための訓練を提供するプログラムに受け入れられ、サンフランシスコの総合病院で1年間勉強し、その後またノース・キャロライナの病院で2年間の実地訓練を受けた。それでやっとNACC(カトリック系チャプレン全米協会)から認定を得るための審査を要請する条件を満たし、色々な書類検査を受けたあと、3人の審査官からの面接試験を受けた。
こうして1991年の秋、晴れてNACCの全国集会で正式に認定証を受け取った。この時期、個人的には、言われるままにやるべきことをなし、自分の最善を尽くして生きているのに、自分の一番の望みである心の平安を得ることができていないことに、胸が痛む思いをずっと抱き続けていた。「私の平安を与える」と言った、イエズスの言葉を信じてきたのに、いつまでたってもそれが自分には実現していないことにいらだちを覚えたり、イエズスに裏切られたような思いさえ抱いたりしていた。
そんなとき、あれは確か1990年の二月のことだった、病院で一緒に働いていた友人が近くの教会で開かれている勉強会に行こうと誘ってくれた。二度三度と誘われて、その気になって参加した。これが「A Course in Miracles」との出会いとなった。この集会に参加し、グループリーダーに貸してもらった本を手にし、その本の真髄をまとめた前置きのわずか三行を目にしたとき、「これこそ自分が待っていた本だ」と直感し、その喜びに心がときめいた。
新たなる旅路
その時を機に、私は人生の新たなる旅路に着いた。その後、又しても色々な難関に対処せざるをえなかったことは言うまでもない。ここであえて一つ言っておこう。
「A Course in Miracles」を自分なりに勉強するにつれ、よくわからないところが続出したのにもかかわらず、自分の胸を強く打つ箇所が次から次へと出てくるのに引き付けられ、結局1200ページ以上におよぶ本を一通り最後まで三ヶ月かけて読み通した。そして自分の最初にもった直感に裏切られなかったことを確信した。この本を日本語で読みたいと思う人がたくさんいるような気がしたので、さっそく出版社に日本語判があるのかどうか、問い合わせの手紙を書いた。その返事によると、日本語に翻訳する計画はあるとのことだった。それでその時は一安心した。
そうこうするうちに、この「A Course in Miracles」が最初に出版される時からその監修に携わり、その後もその本の内容を一人でも多くの人に正しく理解してもらえるようにと、その活動にすべてを注いでいる教師のもとで、勉強できる機会を与えてもらえることになった。
*それというのも、最初に、翻訳をすることになっていた人が、何らかの理由で辞退され、替わりに、わたしがその役目を果たせるかどうかを確認する前に、まずは、その教師の元で、1年間、学んで欲しいとの要請があった。
それは自分にとって願ってもない好機としかいいようがないものだった。ところがここで、その機会を取るか、それとも修道者としての道を続けるか、二つに一つの選択を迫られた。その時自分は、それまでに何とか形だけは整っていたといえる生活をなげうって、「A Course in Miracles」をその教師のもとで勉強する機会のほうをとった。修道会としては教会から正式に認められていない教えを勉強してみたいと言う私の願いを聞き入れる訳にはいかなかったということ。結局その1年後、修道会を退会した。その時の修道会の責任者には、暗い雰囲気のなかではなくシスター達を集めて、お別れの会を開いて送って貰えた。”立つ鳥、跡を濁さず”、を信条とする身には、本当に有り難いことだった。
このこと一つからでも察しがつくように、修道者として生活していた間中、あれこれと苦しい思いをしていたというのは、結局のところ自分が、かってに独り相撲を取っていたということかもしれない。今でもその修道会に立ち寄れば、両手を広げて歓迎してもらえるということは、口では言い表せないほどの喜びである。
いくつもの山や谷を越え(え~と、富士山でしょ、ロッキー山脈でしょ、ボストンからニューヨーク、シカゴ、ノース・キャロライナ、フロリダ、それからっと、我が家のうらにある有名な桜山)…やっと今、自分の求めていた心の平安はいつも、はじめから自分の心の中にあったということに気づき、それを認め、本来の自分を受け入れるに至った。ばんざ~い !!!
これからはこの心の平安を得た喜びを、すべてのきょうだいと分かち合うことこそ自分の使命だと確信する。幸せは分かち合うことによってのみ、深まるものであるから。
"神に感謝、心友に感謝、真の自己に感謝。"
その後の田中百合子
この"Lily Child"の続編を、ポッドキャストで音声配信しています。
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2. 前原敬悟先生にありがとうを言いたくて
3. "あなたにありがとうを言いたくて"ー あれから1ヶ月余り、その裏話を…
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